2025年8月27日水曜日

8月遠征登山 今年は北アルプス最北部・朝日岳〜白馬岳周回(蓮華温泉から)その④

  幸い、隊長の側の布団一式も私の側の布団一式も人が来ることはなく、それなりによく眠れた朝を迎えられたと思いました。隊長に夜中鼻を摘んでゴメンね、と言われたのですが、何でそんなことしたん?と聞くと、いびきかいてると思って、止めようと思ったとのこと。でも違う人がいびきしていたようで、関係なかった。だからゴメンと言われたわけですが、全然気が付かなかったわけですから、よく寝たと言えたでしょう。さて、朝日小屋と違って向かうルートがまちまちのパーティが混在していたのか、私達が入った大部屋は2時くらいから動き出す人、3時くらいには出立する人など、バラバラでした。こういう場合は早く寝て早く動き出すのが得策だよなあと思いつつ、3日めの出立はやや遅めなので、4時前まで耳栓をして横になっていました。白馬山荘の朝ご飯は5時から早いもの順ということで、出遅れるわけにはいかないと4時半前には談話室を兼ねた食堂前のスペースで待機していました。食堂入口前の引き戸の上、安曇野側から見た北アルプスの山容、パノラマ大写真を勉強がてら見ていたら、朝ご飯のために何が何でも一番に並んでいる人と思われたのか、気がついたら後に行列ができており、そこまでの意気込みでは無かったので、少し恥ずかしいような思いをしました。



無事に一番に朝ご飯をゲット。おやきもついていて嬉しい。


 食事を終え身支度をし5時半くらいに出立しました。三国境までは前日に来た道を戻ったわけですが、前日あれほどしんどかった道のりも何だかあっという間で拍子抜けしました。筋肉痛は確かに経験のない感覚で、うち太もも、ハムストリングスも痛みだしていました。いつもの痛いところを合わせれば、要するに足全部痛いというべき状態でしたが、まあそれでも歩き出せば歩けないということもなく、日頃走ったり、スクワットしていたのが効果あったのかもしれません。隊長もそんな感じ。初日に木道で尻もちついたときの痛みもサロンパスの効き目でかなり回復したとのこと。

 らくルートで事前に調べたら、この三国境から小蓮華岳、白馬大池に至るまでの道程が今回のルートの中で一番困難なグレーティングとされていましたが、別にしんどいことも難しいこともなく、歩き良い稜線道でした。ただ、メジャールートだけあって登山者が多く、避けたり避けてもらったりが多かったです。小蓮華岳を過ぎてしばらくした辺りから白馬大池と思しき池を見ることが出来、目標が見えるっていいなあと思いつつ、どんどん下ります。


 それでも三日めの足取りは疲れが溜まってて重かったのか、避けたりすることが多かったせいか、思いの外時間がかかって白馬大池に到着。昼前に蓮華温泉に着けるかもという思惑は早くも崩れてしまったわけでしたが、別に蓮華温泉に急いで向かわないといけない理由もなく、ここまで頑張ってきて怪我でもしたら情けないぞ、蓮華温泉にも入れなくなるぞと励まし合って慎重に歩きます。白馬大池からの道のりは思ったより長く、随分とへこたれましたが、何とか無事に13時ごろに蓮華温泉に到着。温泉に入って、さっぱりし、無事に帰路につきました。



 今回のルートは(10県2山域の日本百名山)登山ルートグレーティングによると技術B・体力8のルートでした。前年の富士・御殿場ルートが技術B・体力7であったことを思うと、我々的には一番キツイルートを経験したことになりました。良い経験をしたと思いますが、さすがにちょっとしんど過ぎたかもしれないと感じました。足が上がらず、蹴つまずきそうになったり、転びそうな角度の滑りそうな石に不用意に足を置いてしまったり、集中力が切れてしまっているなと感じる場面が何度かありました。今回も天候に恵まれたから無事だったと思える部分もあり、果たして来年以降の山行はどうあるべきか、一年間考えたいと思います。

2025年8月25日月曜日

8月遠征登山 今年は北アルプス最北部・朝日岳〜白馬岳周回(蓮華温泉から)その③

 幸い私自身もそれほどいびきをかくこともなく(隊長談)、同室の皆さんも静かで充分に休息を取ることが出来、深夜2時頃から小屋全体に朝の雰囲気が起こりだしても、まあそうだよね、7時に寝たらそうなるよね、と納得の気分です。これだけ早く動き出す人が多いならそりゃ朝ごはんの段取り、弁当の段取りも無理っぽいよね、前日に販売して正解だわ。と感じます。なるほど、談話室やら食堂の開放が無いのもそのせいだな。談話室があったらしつこく飲む人もいるだろうし、どうしたって楽しく会話が盛り上がったらうるさくもなるだろうし、寝るのが遅くなる人も出れば、早い就寝を邪魔されたと感じる人も出ますわね。しっかりとした栄養摂取と休養を登山者にもたらし、無事に歩き通せることにとことん重きをおいた小屋の運営。これが朝日小屋のホスピタリティーなんだな。と感心します。そう気づけば弁当でなく小さめのお寿司と軽い混ぜご飯の販売も理に適っています。朝からそんなに食べられないという人にしたら、食べ切れない弁当はただの荷物だし、たくさん食べたい人からしたら簡単な弁当一つでは物足りない。だからおのおのの体に即した朝食、行動食をうまく見繕ってくださいよということなのでしょう。

 開放されている食堂にて混ぜご飯の一つをいただき、ポットに用意されているお澄ましも飲んで、忘れ物がないか確認し、身支度済ませます。そうすれば、愛すべき小屋から出立です。

朝4時の暁闇の中をヘッドライトで歩きます。よく寝られたかどうかと歩きながら話していたら、なんと、隊長は夜にこっそり星を見に外へ出たそうです。朝日小屋のホスピタリティーを無下にするな!と思わなくもないですが、星を見たくて山に来てるんだ!と常々仰るので、黙っておきます。しんどなっても知らんで。



(遥か彼方に思える白馬岳。こんなん歩けるん??と思うけど、歩くしかないし、歩きに来たのです。)




(堂々たる雪倉岳)






雪倉岳へ道のりはまず水平道と呼ばれる、朝日岳をトラバースする道からスタートです。水平道というものの、起伏もしっかりあるし、先日の大雨の名残か登山道を越水する箇所も何度もあり、さらには小さめの滝のようになっている所もあって、なかなかの苦労です。まして薄暗い中、濡れた石の上を歩くのは気疲れしました。予定時間を大幅に超過して水平道を歩き終え、雪倉岳への登りです。今回の登行プランを考えるまでは名前を知らなかった雪倉岳ですが、堂々たる佇まいで、さすがは日本200名山の一つであるなと感じさせられます。森林限界を超えた稜線歩きは強い風が吹き付け、寒いくらいでした。もっとも暑さで熱中症になることを思えば、寒いくらい大歓迎です。二日目も白い化繊のピタピタ長袖とポロシャツの出で立ちで(着替えております)、日光の温かみを感じにくいのは残念でしたが、仕方ありません。登行二日目の筋肉痛もいつもとは違うものの、ツラいというほどではなく、歩けそうです。小屋から歩いて4時間半強くらいたったころでしょうか、霧も収まってきて、高い山独特の美しく透き通るような朝の陽射しが体を照らします。ああ、この陽射しが一年の間に体に溜まった良くないものを浄化してくれるような気がする。きっとそうだ・・・などと感じます。山の秘蹟であり、神秘であります。ついでに筋肉痛も無くなれ!!これは邪念であります。



(雪倉岳の頂上辺り。素晴らしい景色。写真が下手ですみません)

雪倉岳の頂上から向かう白馬岳を遠望すればまだまだ道のりは長い、果てしないと思えるものの、ここまで歩いてきたのだから頑張れる。しかし、一体どれが白馬のてっぺんなんだろね?あのギザギザしたやつかしら?名前からしたらあの穏やかそうな丸い感じのやつがてっぺんでない?その方が近くていいねえなどと話します。



(後になって思えば右端の雲に隠れているピークが白馬岳と思われます。ギザギザわかりにくく残念)

稜線の道を下ること30分ほどで鞍部にある雪倉岳の避難小屋です。トイレがあるということで、様子を見てみたのですが、ちょっと我慢できるならやめとこうという感じ。朝日小屋を出立して6時間ほど経っているし、そろそろお腹も空いたねということで、小屋の外周の陽の当たるところで早めの昼ご飯とします。混ぜご飯2つと持参していた魚肉ソーセージを食べます。

さて、ここからがこの山行の最高標高の白馬岳へ登りのスタートです。遠くに見える長く細い登りの道を黙々と歩む先行する登山者たちは、何やら修行や苦行に敢えて挑む宗教者のようにも思えます。我々も後の人にはそう見えるのだろうか・・・一人つぶやき、がれた稜線道を赤ペンキの丸印をたどるように登ります。ふたたび強い風が吹き付け、なれぬ二日連続の長時間の山歩きに疲れた体を揺るがします。隊長も流石に足取りに疲れが見え始め、三歩歩いては大きく息を吐き、五歩に一度はヤッ!とかフッ!とか気合を発して歩いています。頑張れ〜!もう少しだぞ〜!などと励ましつつ、ついに白馬縦走の稜線、三国境に至りました。さすがメジャー山岳のメジャールート、一気に人が増えた感じです。先程までの難行苦行のムードではなく、スポーツライクな登山のムードです。


三国境のあたり。天気良くて助かったなと思います。隊長の日頃の行いのおかげです。



 しかし、ここからも山頂、山荘までは1時間以上の道のり。何度もこれが山頂だろ!違った!今度こそてっぺんやろ!まただまされた!!という、フェイク山頂の繰り返しで、精神的に応えたのか、流石の隊長もめずらしく道の脇にへたりこんでしまいます。何人かの登山者に大丈夫??みたいな顔で見られます。大丈夫です。ちょっと疲れて休憩です。邪魔してすみません!と詫びます。やはり二日連続の9時間超えの登行は無謀だったのか・・・隊長の顔に深い疲労の色が見えます。頑張ってくれ、もう少し。ペースダウンしながらも、何とか白馬岳山頂にたどり着きました。






それでも元気に記念撮影。あとは15分ほど下れば白馬山荘です。








 山荘が見えて元気を取り戻した隊長。赤い屋根カワイイ!たくさんある!とお喜びです。白馬山荘は日本最大級の山小屋だそうで、建物の多さも納得です。

無事に山荘の受付を済ませ、あてがわれたスペース(大部屋相部屋)に荷物を置き、隣の人との間の布団一式は使わないのかな?それだったらいいね、逆の方も一式分あいてるのかも。このまま空いたままでお願い!と思います。

 白馬山荘はなんと展望レストランがあり、ケーキセットやワインもいただけます。晩御飯は第2スタートの巡りとなったので、時間があるし、ケーキセットを食べてみよう。そんなこと中々山小屋で出来ないよね。となりました。コーヒーの滋味とケーキの甘みが疲れた体と心を癒やしてくれます。ビールを飲みたいのは山々でありましたが、やはり晩御飯最優先、ここは我慢だとゆっくりケーキを頂き、かなりのんびりさせてもらいました。やはり大きい山小屋には大きい山小屋の良さがあるねえ・・・などと言って過ごしました。

 晩御飯は鶏のクリーム煮がメインで、しっかりいただきました。私は疲れ果てても食事は喉を通るタイプなのでバクバク食べましたが、隊長は疲れ果てるとあまり食べられなくなるタイプなので心配しましたが、ケーキが食欲の呼び水となったのか、そこそこ食べておられました。一安心です。しかし、少し休むと足腰が今まで経験のない疲れを感じさせ、明日のラスト、蓮華温泉への下りの道は大丈夫であろうか?と少し不安になりました。




食後は大食堂からまたも展望レストランに移動。相部屋の少し気まずい感じが苦手の夫婦。

ここまでの無事を祝って乾杯しようとミニボトルの白ワインを購入したら、グラス2つ出してくれました。これもメジャー級山小屋のホスピタリティーですね。

(ワイン持ってきたよ〜といって席に戻ったら、慌てて飲んでた缶ビールを飲み干そうとする隊長。元気で何より。)

その④(最後)につづく

2025年8月24日日曜日

8月遠征登山 今年は北アルプス最北部・朝日岳〜白馬岳周回(蓮華温泉から)その②

 歩き出して30分くらいたったでしょうか、4時半を過ぎた辺りから夜明けの明るさが陰鬱な湿地帯の中にも差し込んで来るようになってきました。やがて兵馬の平と呼ばれるひらけた場所に出ました。曙光の中に遥かな山並が見られます。

あれは朝日岳だろうかね?等と言いつつ木道の上を歩きます。下りの森の中の黒っぽく見える木道と違い、陽の当たる場所の木道は白っぽく見え、滑ることもさほどありません。さりながらこのあたりの木道から粗めの紙やすりのような滑り止めが施されており、歩きやすくなっております。先程の黒っぽい木道にしてくれたらいいのに・・・と思わなくもないですが、陽の当たらない木道はそういった物を付けたところで、ネジも外れやすく、ただいたずらに木道を弱らせるだけなのかもしれないと、一人納得します。さらに明るさを増した穏やかな道を歩くこと1時間半強で2つの鉄橋を越え、本格的に朝日岳の登りのスタートです。ここまで蓮華温泉ロッジから標高で300メートルほど下ったようです。すっかり明るくなってなんだか気分も晴れやかです。やっぱり山登りは登りだよな!そして明るいってすばらしい!と隊長と話します。

 お盆の頃の大雨の影響なのか、道の所々で渡渉というか、沢のようになったところを渡らなければなりませんでした。これからの長い道のりを考えたら靴を濡らすのは絶対に避けたい。さりとて転んで手足を傷めるのも良くないので慎重に歩きます。思いの外の出来事でペースダウンが続きました。それでも黙々と歩きます。
 花園三角点と言われる辺りから高い山に来たなと感じられる山容になってきました。年一の森林限界超えはもうすぐです。関東の人は我々が比良山系に行くくらいの感覚で八ヶ岳とか表銀座とか行くらしいで〜ええな〜しょっちゅう森林限界超えられるやん。うらやましいな〜などと詮無いことを話しつつ歩きます。

 朝日小屋の予約のとき(7月14日)に、小屋のおかみさんが皆さん熱中症気味になって来られるから、絶対早く出てね!5時と言わず4時ね!と念押しされていたのですが、幸い少し曇っており、日差しも柔らかく、気温も程よく、いやもうラッキーだなあと感じました。予約の頃に比べたら、わずかに秋に向かって気候が進んでいるのかもしれません。熱中症対策として、白い化繊のピタピタ長袖とポロシャツを着込んで、直射日光を跳ね返すのだぜ!と思っていたのですが、思惑外れです。さらに花園三角点から上、吹上のコルと呼ばれる辺りは名前の通り、風が吹き上げ、標高も相まって霧の中で強い風に吹かれて、やや寒いくらいでした。

 朝日岳頂上直下の残雪。たくさん残っているものです。残雪の上を通り過ぎた風は冷たく、高山の雰囲気が味わえました。

””白馬大雪渓ってこんなんかな?””と隊長の弁。もっとスゴイんでしょうね。いつか行きましょうね。今回は白馬岳〜朝日岳のマイナールートのしかも逆周りです。かの有名な白馬岳に初登行であるのに、何だか勝手口からこっそり入っていくような感じで、この点はちょっとしくじったかな?やはり初めてなら王道の大雪渓、もしくは白馬三山縦走にすべきだったかしらん・・・?と思いました。さりながら、今回のルート選択には朝日岳をメインにする理由があったからです。

 去年富士山登行を成功できた我々は、さて次の遠征はどうしたら良いだろうと思案しておりました。富士山御殿場ルートを登るぞ!!と意気込むこと三カ年、予定の盆明けの休みに台風の影響で他の山に急遽変更することが続き、やっと登れた後はもうどの山を選択してもいいぞ、行きたい山を選べるのだ!と嬉しくなっていたのですが、どこでも良しとなると、何だかどこも行きたく、さりとてそこに決めるしっかりとした理由もなく、どうしたものかと思っておりました。そんなある日、隊長が””朝日小屋のご飯はおいしいらしいぞ〜””と提案してきたのです。しかし、山小屋のご飯は(空腹も相まって)だいたい旨いぜ?ありがたく美味しくいただけるぜ??と私は考えていたのです。もっとも、この世で一番美味い飯を出す宿は山小屋である(食べるまで苦労するし、空腹という最高の調味料がふんだん)というのが私の持論であったので、山小屋でマジで美味い飯を出すというなら、そりゃ相当な事だぜ?ある意味世界一の飯なんじゃない?と興味が惹かれたのです。調べてみると、朝日小屋はなかなか手の込んだメニューです。確かにボリューム充分なお肉を振る舞う山小屋もあろうけど、こんなに小鉢がたくさん、それに熱々の鍋焼きのラーメンが食べられるなんて他にないかも??何たる力の入れ様!これは行かざなるまい!しかしそこでも疑い深く、他にも凝ったご飯を出すとこあるんじゃない?と調査を深めたのです。そうすると、高瀬ダム(裏銀座)の船窪小屋もご飯がスゴイらしいとの噂が。船窪小屋の名物おかみさんが心のこもった美味しいご飯を出していたことがわかったのですが、気づいたときにはもう既に勇退されており、次の代に道を譲っておられる。美味しいご飯を出すというスピリッツは継承されたみたいでも、やはり名物おかみさんのご飯を食べてみたかったな・・・と感じました。その時、そうか!ご飯の美味しさも食べられるときに食べとかないと、伝統は失われることもある!?ましてやアクセスの遠い朝日小屋でおかみさんのこだわりご飯を食べるなら早く行った方が良い!!我々が若いうちに!おかみさんがバリバリのうちに!!山は逃げないけど、飯は逃げるかもや!!とにわかに心が定まり、隊長に提案し、了承を得て、大まかなプランと日程、予約に動く段取りを定めたのです。

そして予約の時に念押しされたようにちゃんと4時に蓮華温泉を出て、下って登って、長い道のりを経てようやく一日目のピーク、朝日岳に到着です。すでに9時間歩いていました。だいぶ疲れてきておりました。昨年の富士山でも御殿場口からその日のうちに山頂を踏み、下って赤岩八合館まで戻る10時間超えの山行を経験していたので、一日目、朝日小屋までは行けるだろう。翌日7時間くらいまでならまあなんとか元気に行けるだろう。しかしそれを超える時間となると、今まで山の中で一泊、下りは7時間未満の経験しかないから、心配だな。であるから、一日目に朝日小屋泊まりを計画したんだよな。白馬→朝日の行程にすると、天候・体調の悪化、疲労の蓄積などで諦めて朝日まで行かない人が結構いると聞いていたから、とにもかくにも朝日岳・朝日小屋に行くというのを最優先にしたプランなんだよな・・・と自分の考えを再確認し、気持ちを鼓舞します。これでいいのだ!と
 朝日岳山頂を後にするとすぐに朝日小屋の赤い屋根が見えます。山小屋の屋根は赤いのがいいね、カワイイし、分かりやすいよね。と隊長。小屋が見えたら元気回復の模様です。

 2時半前に小屋に到着、小屋の受付はおかみさんでした。ウエルカムドリンクを下さり、酸味とほのかな甘味がおいしかったです。そして、蓮華温泉を何時に出ました?と聞かれ、はい、念押しされたように4時に出ました!と答えると、あ〜それなら明日も4時出発ね!とビシっと言われました。なるほど、ここまで9時間半なら明日もそれくらいはかかるというチェックだったのね・・・念押しね・・・と思いました。さすがは遭難対策協議会の腕章をつけてるだけのことはあります。登山者の実力を見極め、正しい行動予定を教えてくださるのね・・・と納得します。

 部屋は相部屋。我々を入れて5人一部屋。全員が蓮華温泉から朝日岳、そして翌日白馬山荘泊の予定なので、寝る時間も起きる時間もそう差異がないということなのでしょう。さすがの采配です。

 待望の晩御飯。この日の宿泊者は皆さん優秀で、3時半くらいには全員小屋に到着していたそうです。それによって、宿泊者全員で食前酒のワインで乾杯しました。(写真は飲んだ後)

富山名物の昆布締め、そしておかみさん手作りのホタルイカの沖漬け。抜群の味染みのふろふき大根。熱々の鍋焼きラーメン。(替え玉一回可)お豆腐もおいしゅうございました。替え玉もさせていただき、ごはんもおかわりし、大満足でありました。

翌朝の朝ごはんとお昼の行動食用の混ぜご飯と笹寿司の販売もあり、私は計3つの混ぜご飯を購入しました。

 そんな素敵な朝日小屋でありましたが、不思議な点もありました。山小屋によくある、談話室、食堂の開放がなかったのです。少し寒さを感じながら、外のテーブルで隊長は一杯、温かいのをやっておられました。私も少し分けてもらって、体と心の緊張を和らげ、早いうちに就寝としました。あんまり飲むといびきをかきやすくなるのと、眠りが浅くなるし筋肉疲労も回復が悪くなるというので、ほんの少しだけ飲みました。

その③につづく


2025年8月23日土曜日

8月遠征登山 今年は北アルプス最北部・朝日岳〜白馬岳周回(蓮華温泉から)その①


 2025年8月の遠征登山は初めて山小屋に二泊するプランを計画しました。お盆前の大雨災害のニュースに触れるたびに、果たして予約に苦労した朝日岳・朝日小屋、そして白馬岳・白馬山荘には無事にたどり着けるのだろうかという不安に苛まれつつもお盆の商売を頑張り、少し日程的には早いものの(花屋的には)13日に兵庫県尼崎市の家を出発し(朝5時半)名神高速、北陸道、そして洞門・トンネルの連続する国道148号、JR平岩駅から伸びる林道を走ること計8時間半くらいで無事に登山口の蓮華温泉ロッジにたどり着くことが出来ました。
 電話での予約時の会話に齟齬があったのか、ロッジ宿泊者には蓮華温泉駐車場に確実に車を停めていただけますと言われたと思い、安心していたのですが、宿泊者でない人々の車と同様に駐車場の空きを探して適宜停めてくださいとロッジの受付で言われ、話が違うような・・・と思いながら、探したところ、幸い一台分ロッジに近いところに駐車することが出来、事なきを得たのですが、何となくモヤモヤする事になってしまいました。ロッジの前の広大な砂利スペースはなんのためなんだろう?そこに停めさせてくれたら話が早いのに、宿泊者じゃない人と同じ扱いは疑問だ・・・と苦々しく思います。(どうしても停められるところが無ければ、工事車両用のスペースとして封鎖してあるカラーコーンをどけて停めてくれたらいいと言われもしましたが、なんか違うような気もしました。こちらにお停めくださいくらいの表示がされてるくらいの話の印象だったから。)
 まあそんな気持ちを抱いていても仕方がないので、無事停められてラッキーじゃんくらいのマインドセットで過ごすこととし、あてがわれた部屋に入ります。思ったより広々。ロッジと名乗るだけあって、テレビも金庫、冷蔵庫などもありません。部屋に入ったのが3時くらいだったので、はて、夕飯の時間までどう過ごそうか?もちろん明日の山行に向けて水を段取りしたり、地図を眺めてコースを再確認したりとすることはありますが、暇は暇です。
 蓮華温泉には外湯もあって、外湯を巡る事もできるのですが、歩いて20分もかかるような所にあるようだし、サンダルで歩けるような道でなくて、山靴推奨と案内されているところを見るに、明日以降の山行を考えると、変に足を疲れさせるのも得策とは思えず、湯当たりしてしんどくなってもどうかと考え、のんびり過ごします。
 さて、待望の晩御飯ですが、ラインナップは写真のとおり。美味しくいただきました。ロッジというだけあって、ご飯とお味噌汁はおかわり自由なのがうれしい。そして食後すぐに内風呂へと向かいました。運よく空いていて、気分よく温泉を味わえました。泉質もすばらしく、若干熱めなところも私好みでした。そして風呂上がりには解放されている食堂において新潟県限定販売とうたわれた生ビールを頂きます。
蓮華温泉は新潟県なのですな・・・と再認識します。朝日岳は富山県、白馬岳は長野県なので、今回の周回ルートは3県をまたぐかたちになるのだな。と考えます。風呂上がりのビールはやはり最高。
そしてロッジらしく消灯は9時との由。もう一回お風呂に入ろうかな?と思いもしましたが、まあやめときましょう。眠くなるままに寝てしまい、朝日小屋のおかみさんに念押しされたように、明日は朝4時にはスタートしなければならないのですから。そして、朝4時にロッジを出るには3時には起きて、ロッジおすすめの豆カレー(夜の間中いつでも食べて良いと食堂にジャーが設置されているのです。)を食べて腹ごしらえをする段取りです。朝からカレーなんて食べられるかしら??と心配しつつ消灯前には寝てしまいました。






明朝3時半の豆カレー。あっさりとした味で朝ごはんにはぴったりでした。しっかりいただきました。きゅうりの浅漬もおいしい。












朝4時の蓮華温泉ロッジ前。当たり前ですが真っ暗です。ヘッドライトを点けて山行をスタートさせるのは初めての体験です。
まずはロッジから標高を300メートルほど下げる道のりでした。暗くて湿気の多い森の中をヘッドライトを頼りに下りて行くのはなんとも陰鬱な感じです。途中所々にある木道も滑りやすく、早く明るくなってくれ!!と切に願いました。実際下りの木段で隊長(マイワイフ)は3・4回尻もちをついておりました。流石に木段でコケるのは注意の促しようも手助けの仕様もないですよ、隊長・・・
一回しっかりお尻を打ってしまったらしく、尾てい骨は無事かっ??となりましたが、歩く分には問題なし、でも青タン出来たかも・・・とのことでした。

その②につづく

2025年7月20日日曜日

7月・暑いときには標高高い登山口から!後山に行ってきました。(2025年7月)

 早い梅雨明けですっかり炎暑の7月。さて、どこ山に行きましょうと考えると、やはり標高の高い登山口の山が良かろうということになりまして、となると、大峰の行者還トンネル(八経ヶ岳)か釈迦ヶ岳の太尾登山口かなあと考えていたのですが、前回が大峰山系大普賢岳であったので、今回は岡山県と兵庫県の境の後山を標高大体1000メートル弱の駒の尾登山口から登ろうということになりました。後山は尼崎から2時間半くらいでいけるので、登り出しが早い時間に出来る点も真夏の登山には持って来いです。(行者還だと行き道3時間半、太尾登山口だと4時間はかかります)

登山口までは鳥取自動車道西粟倉インターから30分くらい。道の駅がインター出口そばにありますので、そこでトイレを済ましておくとよろしいかと思います。(登山口にもトイレはありますが、いわゆる汲み取り式です)

整備の行き届いた駐車場と登山口です。ありがたいことです。感謝しつつスタートです。自然林の中を標高を上げていきます。

歩きやすい道で斜度もそこまでキツくもなく、幸い少し霧がかかっておりましたので、暑さもしのぎやすく、汗はかくものの熱中症の心配をするようなものではなかったので、本当にラッキーでした。最近はどの山でもクマに注意という看板を見かけるので、まあいつものことだね・・・と思うのですが、霧の中だと急に出現してもおかしくはないので、いつもより熊鈴を多めに鳴らしつつ歩きます。(熊鈴をステッキのハンドルにぶら下げているので、鳴らしたいときは鳴らしやすいのです。)

1時間と少しで最初のピークの駒の尾山に到着です。


ストーンヘンジのような感じで石が並べられていて、石に方位が示されています。ちょうど座れるようなサイズ感なので、致せり尽くせりの山頂です。駒の尾山から後山への道のりは鍋ヶ谷山、船木山の2つのピークがあるものの、概ね斜度のゆるい稜線歩きとなります。ただし木陰ではないので、暑いは暑いだろうと覚悟していたのですが、霧がかかっていて、実に快適、涼しく歩くことが出来ました。





時折木陰もあります。立派な木だなあと隊長も感心しておられます。







鍋ヶ谷山、船木山と順調にピークを経て、無事に後山に到着です。トンボがたくさん飛んでいて、風情があるね・・・と思っていたら、トンボが飛んでるからハエがいなくていいね!と隊長の言。トンボってハエを食べるん??と聞いたら、そりゃそうでしょ!とのこと。知らなんだ。夏山で暑くて堪らん時、ハエが顔にまとわりつくと不快感倍増なので、トンボありがとうという気分です。

珍しく、山頂なのに他の登山者もおらず、ここで昼食としました。

いつものようにさっとパンを食べて、少し休憩したら下山です。





来た道をピストンで帰るのは少しつまらなくもありますが、暑いさなかの登山で、往復で5時間強、登山口も高いところ、ちょうどいい感じの山行となりました。

帰りは西粟倉インターそばの道の駅で野菜を買って帰りました。安くて豊富でした。ありがたや。

2025年6月26日木曜日

6月・梅雨の合間の大峰山系登山、15年ぶりの大普賢岳(2025年6月)


 梅雨の合間に仕事のない日曜と好天が重なったので急遽登山をしました。

実に15年ぶりの大峰山系大普賢岳です。

15年前は9月。登山を初めてわずか3回目、怖いものがなかったのか、関西有数の日帰りロングルートの大普賢岳周回を決行したのでした。前日夜に近くの道の駅に停車し車中泊し、朝6時頃起きて段取りし、移動して7時から登りだしたわけです。9時間で行けるだろ、16時には下りれるだろうと計画したのですが、今考えると如何にも甘い、隙だらけ。担ぐ水の量も少なく、残り2時間程度のところで水を切らし、隊長(マイワイフ)に゙水を恵んでもらうという失態をしたのを記憶しています。しかも結局10時間以上かかり、熱く燃え盛る夕日を正面に受けながら、疲れ切って最後のキャンプ場脇の舗装路を這々の体で降りてきた記憶が鮮明です。今もし同じ計画をするなら、少なくとも5時前には起きて、5時半には登りだし、涼しい朝のうちに出来る限り距離を稼ぎ、水も少し多めに持っていきながらも、適宜、喉が渇く前に少しづつ飲み、一番暑い時間帯を出来る限り標高の高い場所を歩けるように算段するだろうな・・・と思うのですが、あれから15年。車中泊できるようなサイズの車でもなくなり、車中泊するべく夜間に走行するような気迫もなくなった五十路の私。当然のように日帰り、しかも周回でなく、和佐又から大普賢岳のピストン(5時間くらい)の行程を選んだのでした。梅雨のさなかとはいえ、2025年の6月は晴れたなら気温30℃を超える夏の暑さ。水だけは多めに4.5リットルほど担ぎました。

兵庫県にある家を出たのが5時45分くらい。少し道間違えをしたものの、8時半には和佐又について、登山者用の無料駐車場に停めさせてもらいました。(もうほとんど停められる場所がなかったので、人気ですね。ご利用の方は8時くらいまでには到着なさるのが良いかと存じます。)

駐車場から和佐又ヒュッテ前までは10分ほどの距離で、登山口にほど近いバンガローの手前にきれいなトイレがあります。使わせてもらって登りだします。最初はコンクリートの舗装路です。

思っていたよりもキャンプ勢のテントの数が多く、朝のさわやかな空気を楽しんでおられる中を通り過ぎ、車をふさぐ簡易なガードを通り過ぎ、顕彰碑やら歌碑などを脇目に本格的に登山路に入ります。9時すぎ、標高1200近い、森の中ということで、暑いと言ったら暑いけど、たまらんというほどでもなく、先月の段ヶ峰の最初のほうが暑かったね・・などと隊長と話します。今回はクマの出没の多い山系ということもあるので、行きも帰りも私が先行しました。

さわやかな森だな・・・大峰らしい古寂びた落ち着きと静けさがあるなと思いつつ歩きます。



(朝の木々を眺める隊長)







足元は背の低い小さな笹の原で、木陰の歩きやすい道を小一時間ほど歩くと、景色と道の様相が変化します。少し道幅が狭くなり、修験の行所である窟がつづいてある辺りになります。


(笙の窟)

窟の上は大きな岩壁になっており、それに入った縦の筋が雅楽に用いる笙の様であるから、笙の窟なのかしら?と隊長の言。近くに教育委員会が立てた案内がありますが、命名の理由については述べられておらず。


窟の連続する辺りを越えて、見晴らしの良いところで、紀伊半島の幾重にも連なる山並みを撮影。何一つ人間の作ったものが写らないところに大峰の凄さがあるなあと思います。だから大峰が一番好きなのかと再認識します。


さて、登りだして1時間半くらいでしょうか、トラバース気味だった笙の窟あたりと異なり、岩と岩の間の急な登りになります。手足と使ってよじ登る感じです。こんなに大変だったかしら??と考えます。15年前は大普賢岳から先の道のりの長さとツラさが印象に強く残っており、前半のツラい所なんかすっかり忘れてしまっておりました。






手も使って登るから、階段というよりはしごです。一体何箇所はしごがあるねん??角度急すぎ!!しんどすぎ!という道です。登りはいいけど、帰りの方が降りるの難しそう・・・と心配になります。このあたりの小普賢岳の道標を見て、うっかり小普賢岳を登ってしまい、当初の予定にない道をいってしまって、反省。体力ロス。時間は20分ほどロス。ピンクのリボンがありますが、それは小普賢岳のピークへの案内で、大普賢岳につながる道ではないのでご注意ください。




ただもう何度も何度も続くはしごを昇り降りして山頂に到着です。写真の表情がしんどさを伝えているのではないでしょうか。今回はここで引き返すので邪魔にならないようなところにシートを敷いて昼食としました。虫がいっぱいいるのには辟易しましたが、やはり山頂というのは良いものです。たくさんのパーティーが昼食をしておられました。15年前は少し先の国見岳でおむすび食べたな・・・と思い出します。国見岳の方が虫がいなかったような。そして狭いけれどもピークに座り、連なる山並みを見渡しながらおむすびを食べると、自分が仙人になったような気分だったなと思い出します。

いつものようにパンを手早く食べて、あっさりと下山します。プラティパスを挟むようにザックに入れたコンビニの冷凍ペットボトルが功を奏したのか、プラティパスの水も少し冷たくていい感じです。

ピストンなので、来た道を引き返すわけで、急な角度の登りはしごが今度は急な角度の下りはしごになるわけです。あまりの連続、しんどさにさすがの隊長も””もうイヤッ!””と音を上げます。スマンでしたなぁ・・・15年前はこのはしごがこないに大変と感じなかったんや・・・体力落ちたんかなあ・・・と申し訳ない気分になります。そんなツラいはしごの連続を終えて、岩と岩の間の急な下り道をなんとか降りると笙の窟あたりのトラバース道になり、そこまでくると隊長の気分も良くなり、””山ってエエなあ〜””と言って残り僅かとなった下り道を惜しんでおられました。

(森の中に生えている樹皮のない不思議な木)

静かで爽やかな森を通り過ぎて、無事に下山でき、15年前のように水も切らさず、14時過ぎには降りてくることができました。

帰りの道中、入之波温泉山鳩湯に立ち寄ろうと思っていたのですが、思ったより来訪の車が多く見受けられ、停める場所も困るような状態だったので、やむなくそのまま帰路に着きました。

2025年5月22日木曜日

公民館活動のフラワーアレンジ講座でアシスタントをさせていただきました!(西宮市高木公民館)

 

大変ありがたいことに、お店のある西宮市高木地区の公民館活動のフラワーアレンジ講座のアシスタントをさせていただきました。(お花もご用意いたしました。)

大変な盛況で、予定定員を上回る人数の参加で、16名のお越しをいただきました。

身近なお花を素敵にアレンジ というテーマにそって、お家で育てやすいグリーン三種(いづれも宿根)と、季節のミニバラ、そしてこれから夏の花壇のメインキャストの一つ、マリーゴールド、千日紅ストロベリーフィールドを苗物でご用意し、切り花で2種類のバラをお持ちしました。

講師は長谷川栄作氏、社団法人日本フラワーデザイナー協会の理事をしておられます。さすがに手慣れたもので、

巧みに講座をしてくれました。講師が事前に用意してくださったプリントにも家で育てやすいグリーンを用いて季節のアレンジを気軽に楽しむということに触れてくれていました。こちらとしても狙い通りの楽しくかつ再現性のある(苗を育てて、育ったものを使って何度もアレンジできる)アレンジ素材を提供できたのではないかと喜んでおります。


(講座の様子)

若干予定時間をオーバーしてしまい、公民館活動推進員の皆様をヒヤヒヤさせてしまったかもしれませんが、お越しの皆様も熱心にアレンジメントを作り、講師のアドバイスに耳を傾けておられました。






高木公民館の館長様があっという間に本日の記念として講座の様子をプリントアウトしてくださりました。本当にありがとうございます。

講師の長谷川栄作氏も西宮市公民館活動の講師としての登録も前向きにお考えのご様子です。ぜひ登録していただき、他地域の公民館からもお声がけがいただけたら良いなと思っております。

本日は誠にありがとうございました。

2025年5月19日月曜日

5月新緑の山登り・段ヶ峰・稜線歩きが最高な兵庫県朝来市の山(2025年5月)

 母の日を無事に終えて、花屋的には今年の前半戦が大過なく終わったというような気分となり、打ち上げだなんだと言っては飲んだり食べたりばかりしていたのですが、そろそろ夏の遠征登山に向けて体力増強、贅肉を落とさないと行けない頃合いになってきました。母の日翌日から小一時間のウォーキング・インターバルランニングを2度行い、スクワットを中心とした筋トレも2度行って、(まあやらないよりはマシかという準備をして、)5月の山登りをしました。今回は近畿の北西部が好天が見込まれるという予報だったので、我が登山隊の隊長(マイワイフ)お気に入りの段ヶ峰を選びました。前日までしっかり雨だったので、渡渉がなくて、滑りそうな岩場のないことが必須で、さらに気持ちの良い稜線歩きが出来るという点で、段ヶ峰はベストなチョイスではないでしょうか。

段ヶ峰までは中国道宝塚インターで乗り込み、播但道・生野出口専用インターで降りて、そこから10分ほどのゴルフ場の脇の登山口からスタートです。登山口にはありがたいことにトイレがあるのですが、若干散らかり気味でありますので、生野出口インターから左折してすぐのJR生野駅のトイレがおすすめです。向かいのローソンさんもそうおっしゃっております。


登山口には段ヶ峰縦走路の地図が掲示されてますので、ご参考下さい。山と高原の地図(我々がもってる10年くらい前のもの)にはなぜか段ヶ峰の詳細がありません。今はあるのかしら?私はヤマレコのらくルートをプリントアウトして持ってきました。もっともこのルートは三回目で、迷うところもないようによく整備された道ですので、地図がなくても良さそうなものですが、やはり地図無しは心許ないので毎回そうしています。今回も登山口から段ヶ峰頂上のピストンです。登り始めてから一時間ほどは中々にキツめの登りです。日陰も少ないので汗が吹き出します。4月の大峰の時はそんなことがなかったので、やはりひと月季節が進んで、初夏なのだなあと実感します。来る猛暑に向けての暑熱順化としてもいい感じです。

今回、仕事にかまけてランニングやスクワットを怠りがちだったので、体にちょっと喝を入れようと、飲みもしない水を2リットル余計に担いでおりました。夏の遠征登山のときの目標体重に対し、2キロオーバーの現状を考えると、水と合わせて都合4キロの歩荷だぜ!!と考えます。(体重を歩荷に組み込むアホ思考)

達磨ヶ峰が最初のピークでそこから先は気持ちの良い、時折見晴らしの良い稜線歩きがつづきます。達磨ヶ峰から段ヶ峰まで一望することが出来るのですが、あまりにも遥か遠くに思えます。毎回、こんなん歩いていけるもんなん??と思いますが、気持ちのよく稜線を歩き、時に登ったり下ったりをしていると、無事にたどり着けます。

(爽やかな稜線の上で、来た道を指差す隊長)

達磨ヶ峰を過ぎて15分ほど歩いた頃でしょうか、本日初のすれ違いの登山者の人から、

”下はヒルに遭いませんでしたか?私は3匹とりつかれていたんですよ”との話を伺います。

えっ!本当ですか!しまった、段ヶ峰にはヒルがいないと思ってました・・・完全に油断してました。と返します。そうすると、

”達磨から下です。上にはいませんでした”と教えてくださいました。そうなのか・・・

一時小休憩をとり、足元、ズボンの中、靴下のあたりをチェックしますが、とりあえず見つかりませんでした。一安心するとともに、これはこれからの道のりで注意しなければと気を引き締めます。先程の人はこの時間(9時半頃)でもう降りて来られたのだから、相当早い時間に登りだしたんでなかろうか、そうなると、昨日の雨と朝露でもって、ヒルが活動的であったのではなかろうか、我々が登ってきた時間帯はもうすでに気温も高く、地面も乾燥しだしていたので、難を逃れたのではなかろうか?と二人で話し合います。さりながら、段ヶ峰にはヒルがいないと思っていたので、(過去二回の登行もヒルの活動時期だったが見なかった)恐るべしヒル、油断大敵であるなと今後の教訓とします。近い山域の千ヶ峰・雪彦山はヒルがいることで有名であるので、よくよく考えればヒルがいても不思議はない。たまたま食われなかったのか、稜線道なので乾燥しやすいからギリギリセーフだったんだわ・・・と反省します。

最低コルをへて、台地上の広々とした稜線に出て、あれほど遠くに見えた段ヶ峰も間近に感じられるようになります。フトウガ峰までは高い木も生えてないゾーンで、風が強い時は本当に強いのだろうなと想像しつつ、今日は風もゆるやかで、気温も暑くなく寒くなく、まさに絶好の山登り日和だと感じました。


(たかが2リットルほどの歩荷でテンションが上がったのか、むやみに力強いガッツポーズをしてしまい、後になって恥ずかしい)

予定より30分以上早く着いて、我々もやるもんだね!などと隊長と話しますが、らくルートは割とゆっくり目の歩行時間設定になっているので、大体いつも少し早くついた感じになります。ちょっと良い気分にさせてくれるので嬉しいです。

頂上が見晴らしもよく、結構広いので、いつものようにさっとパンを食べて昼食です。食べている間に頂上は人が増えてきました。後期高齢者のグループだと話が聞こえてきたので、たいしたもんだなあ、我々もそれくらいまで登れるかね?健康第一だね、それでももしか登れなくなったら夏の山の代わりに全国の花火大会を見て回ろう、いや、ケーブルカーやリフトを使ったゆったり登山をしようよなどと話します。
そんな話をしながら、来た道の気持ちの良い稜線を戻ります。


無事に達磨ヶ峰まで戻ってきました。此処から先の下りはヒルの襲来に気をつけつつ、足の疲れからの転倒に注意しつつ、ちょっと急目の下りを降りて、無事に帰還いたしました。
やはり段ヶ峰は良い山ですね。山と高原の地図に載ってないのは、秘密にしたいからじゃない??などと隊長と話しつつ、混雑を避けるべく、まっすぐ帰路に着きました。

2025年4月22日火曜日

久々の山登り 大峰山系 天女の頂 へ(2025年4月・天川村役場からピストン)その2

 

2名の登山者との情報交換の後、しばらくすると林道との出合に出ました。何台もの赤い消防の車両(ライトバンサイズ)が停車しており、御所、吉野、天川などと車の所属が記されているところをみると、これは近隣の消防が総力で遭難者を見つけるための編成を組んでいるのだなと思われました。おのおのの車から降りたと思しき、精強そうな消防署の方々がカラビナやらロープを身に着け、これから始まる捜索に備えておられます。我々は下から登ってきたらからか、何も聞かれることもなく、こちらから尋ねるのも興味本位に過ぎないので、こんにちは・・・と普通の挨拶をし、小さくお気をつけ下さい・・・などと言いつつすれ違います。事態のほどはなんとなく知っているので、何か気づいたら帰りに申し伝えよう。最もそれより前に遭難者の発見されることを望みます。と心の中でつぶやきます。

林道歩きは一分ほどで、すぐに登山道に戻ることが出来、遭難者のことを気にしつつ、自然林と植林帯の交錯する登山道を逍遥しつつ、更に歩くこと一時間程でしょうか、栃尾辻に到着です。

避難小屋と聞いていたので、あれ?この建物がそうなのかな?林業者さんの一服スペース??といった簡素な小屋です。さりとて、急な風雨の際は助かるのでありましょうなあと隊長の言。なるほど。

このあたりから再度ヘリの飛ぶ音が鳴り始め、今までとは逆、稜線の西側から聞こえるようになってきました。なるほど、捜索範囲を広げたのであるなあ・・・見つかってないのだな、しかし、山の反対側も捜索するとなるとこれは大変であるなあ・・・老婆心ながら考えます。


さて、この栃尾辻からしばらくがこの山行で最も景色が良く、自然林の美しい、通称天女の舞と呼ばれる辺りであると調べてあったので、ワクワクしながら歩を進めます。栃尾辻から15分ほどでしょうか、尾根道を遮るように虎ロープが渡されており、右にやや下る巻き道への誘導がなされている地点にたどり着きました。虎ロープの渡し方がなんとも緊張感のない感じで、高さも中途半端なものであったので、行っても良いのかな?アカンのかな?とややも違和感を抱きながらもやや下りの巻き道を選択します。虎ロープからトラバース的に斜面を20分も歩いた頃でしょうか、事前調べによれば栃尾辻から15分もすれば天女の頂に向かう分岐があるとなっていたし、地図の等高線からしても、これほどトラバースをしているのもおかしいなと感じ始め、隊長にどうもおかしいです。栃尾辻から30分ほど歩いているのに、分岐に達しないこと、天女の頂に向かう道中、いわゆる天女の舞と言われるあたりは稜線上で見晴らしが良いはずであるのに、西方面しかひらけてないので、どうも間違っているかもしれませんと伝えると、隊長はふむ、なら戻りましょうと素早く判断。来た道を戻り、やはり虎ロープのところまで戻ったところで、隊長、やはりこの虎ロープから先が天女の舞であると私は思います。さりながら、虎ロープが張られているのは目前の事実。いかがいたしますか?と尋ねると、隊長はそうなのかもしれないけど、やはり虎ロープを越えていくのは良くない。やめとこう。と大変モラルある発言。確かに、虎ロープをわかっていて越えて何かあったら情けないし、大迷惑をかける。ここは天女の舞も頂もあきらめよう。少し騒がしい(ヘリで)ところもあったけど、いい道を楽しく歩けたのだから、良しとしよう。ではここを我々の天女の頂としましょう。とテレビで天国じじい氏が言うようなことを言って、虎ロープの下でお昼としました。

いつものようにお昼はパンを食べるだけの我々は、やや冷えるのでダウンを着たり、フリースを着たりしながら手早く昼休憩を済ませ、来た道を戻ります。来た道であるのに帰りに林業者用の杣道のようなものに入り込んでしまい、隊長のどうもおかしい、引き返そうという好判断もあって小さなタイムロス(30分弱)、体力ロスでルートに復帰することがありました。このように記すと何もなく上手に引き返した様に見えますが、その実は重大インシデントを起こしておりました。

引き返そうと判断したその道すがら、私が自らの判断ミスでルートを間違ってしまった恥ずかしさもあって、なるだけ早く正規のルートに戻ろう、恥を雪ごうと思ってしまいました。早足で正規のルートに戻ろうとするあまり、隊長との距離が開きすぎてしまい、ハッと気がつくと隊長がいません。見えません。やばい!隊長、別の方向に行ってしまったら大変だ!!と超早足で戻ります。そこで、おーい!隊長〜〜!!と呼びかけると10メートルほど上の姿が見えないところから返事が聞こえてくる感じ。斜面を直登し、なんとか隊長を発見。危ないところだった。もしもっと隊長がついてきてないことに気がつくのが遅れ、もっと離れた違う道を隊長が進んでいたら、お互いがお互いを探す内にますます迷ってしまうという、最悪な悪循環に陥り、それこそ遭難していたかもしれない。まさに重大インシデントでありました。私は正直にスミマセン、判断ミスした恥ずかしさもあって、早足で歩き、後ろを見ずに進んでおりました。距離が開きすぎました。危ないところでした。これからは間違って引き返すときもゆっくりにします。それでも何かの折に私とはぐれてしまったら、その場を動かないで下さい。必ず来ますから。と伝え、今後の山登りの注意事項、約束事としました。

危うく別件の遭難を作りそうになったものの標識のある正規ルートにもどり、その後林道出合において待機中と思しき消防の皆さんとすれ違い、目礼し、来た道をゆるゆると下って(案外長かった)、天川村役場まで戻りました。役場においても待機中の消防、警察の方がおられました。お勤めお疲れ様です。

我々はその後お気に入りの 天の川温泉に浸かり、体をほぐした後、無事に゙帰路につきました。

その後、翌々火曜日に遭難者は発見されたそうです。気を失っておられたとの由、そうなると、ヘリが飛んできても気がつかないわけで、必然、捜索隊が足で探し出したのだと思うと、本当に頭が下がります。我々は捜索隊のお世話にならぬよう、なお一層気を引き締めて登山を楽しみたいと思います。

2025年4月21日月曜日

久々の山登り 大峰山系 天女の頂 へ(2025年4月・天川村役場からピストン)その1

 

2月半ばから始まった卒業式、入学式の繁忙に加え、今年はありがたいことに音楽の発表会のお仕事も毎週様々に戴いて、4月の20日まで週末ずっと山に行けずになっておりました。

ようやく空いた4月20日も晴れるような、雨のような怪しい天気の予報でヤキモキしたのですが、前日まで来ると近畿の北部西部、中部はどうも降るかもしれないということが明らかになったので、南部の大峰山系に狙いを定め、どこがいいかな?と調べていると、前から少し気になっていた 天女の舞、天女の頂というポイントが、我が登山隊の隊長(私のお嫁ちゃん)の求める、緩やかかつロング、人の少ない、静かな山歩き(それを隊長は逍遥と言います)が出来るルートなのではなかろうか?と思い、隊長に提案しました。隊長は母公堂からの五代松新道〜法力峠〜稲村ヶ岳のピストンを考えていた様なのですが、近畿で明らかに晴れそうなのが南部のみ、そしてメジャーな稲村ヶ岳ではさぞかし人が多かろうということもあり、初ルートも悪くなかろうということもあって天女の頂を採択しました。(もっとも2ヶ月半ぶりの登山なので、稲村小屋から先の大日岳、頂上はちょっと険しく、よじ登るようなキツイところがあるのでやめとこかという気分もありました。)

(画像は天川村役場から小一時間ほど歩いたひらけた稜線上から見えた稲村ヶ岳と(中央左)と大普賢岳(中央右)どちらも特徴的な(大日岳のピュッとしたトンガリ)と大普賢・中普賢・小普賢のノコギリ状の)山容でわかりやすいですね。どちらも素晴らしい山。)

天川村役場駐車場に車を停めさせてもらって、さて、登山口はどこかな?と周囲を見渡すと、どういうわけか、日曜の朝8時半の村役場にパトカーと消防車両が停まっています。警察官も消防職員もおられます。何かの会合かしらん?と思いつつ、役場隣接のグラウンド外周を歩き、登山口の看板を発見し歩き始めます(しかし役場にグラウンドが隣接してあり、登山口もすぐそこというのは天川村スゴイですね)。隊長と何かあったのかしらね?警察の人とか?などと話します。

よくあるパターンの登りだしは植林帯で杉木立の中をなかなかの急登という道を、いやあ久々の山登りは気持ちいいけどキツイね等と言いながら歩きます。小一時間ほど歩いたらところどころひらけた、眺望の良いところがあって天気も暑くもなく、寒くもなく快適です。


しばらくすると何やら大きな音が空から聞こえてきました。ヘリコプターの飛行音です。ヘリコプターは我々の登る尾根と熊渡〜八経ヶ岳登りのカナビキ尾根の間のあたりをかなりの低空飛行で何かを捜索しているように思われます。(ヘリの乗降口を開け、2〜3人で下を目視していました。)こうなると、ああ、遭難があったのだな。現在捜索中なのだな、それで役場に待機の人員がいたのだなと推測できました。

我々のすぐ上もヘリは通り過ぎ、もちろん手を降ったりしたらややこしいので何もしませんでしたが、こんなにも間近に樹の頭に触れそうなほど近くを飛ぶのだなあと感心しつつ見ておりました。場合によっては我々のいた標高よりも低い谷あいの場所も飛ぶので画像のようにヘリを下に見るという経験もしました。


植林の急登を終えると自然林のおだやかな稜線に出ました。長らく飛んでいたヘリも去り、静かな逍遥です。

スタートから1時間半ほどだったでしょうか、この登山初めての登行者との挨拶です。そうすると、その男性が

”昨日、頂仙岳で一緒だった二人組の一人が遭難したということみたいです。この上の林道の出合に警察がいて、尋ねられ、どこそこまでは一緒だった、元気で楽しそうだったと伝えたのですよ。あんなに元気そうで楽しそうだった人が遭難なんて、ショックで・・・”と仰られました。そうなのか・・・

さらにしばらく歩くと今度は中年の男性が

”遭難のことは知ってますか?私は狼平の避難小屋で一緒だったんですよ。元気なおじいさん二人組みだったんだけど、一人は発見され、一人は捜索中みたいですよ。このピストンのルートでそんな危ないような迷うような所は無いのに。まちがって双門の方に行ったんじゃないだろうか?”と仰りました。私もそう推測し、先程からこの尾根とカナビキの尾根の間の谷をヘリが箱乗りみたいに下を目視しつつ飛んでおりましたよ。と伝えます。お互い気をつけましょうね、我々は天女の頂まで行くつもりですと伝えます。このようにすれ違う人や挨拶をした人、軽く話をした人の様子を憶えておくことは大事だな・・・と再認識します。

もしかしたら助けを求める声がするのかもしれない、何かの跡を発見するかもしれないなと思いつつ、ここで怪我でもしたら救助の手が回らないだろうねなどと隊長と話して、気を引き締めます。(つづく)

生け花画像頂戴しました

今週の生け花作品画像頂きました!ありがとうございます。

 お客様から今週お届けした花材での作品画像を頂戴しました。 フェイジョア、秋色ヒマワリ(サンリッチライチ)、青ドラセナ フェイジョアが伸びやかで素敵 中輪八重のトルコ桔梗(しずく)を加えて、ライティングも変えて撮影してくださいました。秋の気配がいい感じですね。 作品画像ありがとう...